栗園醫訓五十七則 解説(6)
一、病者は必ず宿疾を詳らかにすべし。風家、喘家、淋家、酒客の類、是なり。
簡単には「既往症や生活習慣を確認せよ」ということですね。
患者さんが今訴えている病(新病)を診るにしても、その患者さんが喘息持ちだったり、酒飲みだったり、当時なら梅毒にかかっていないかとか、体質的な背景を考えて薬方もひと工夫しなければならないこともあると。
または同じ症状でも宿疾の傾向によって、病因のつながりがないかなど、考えるべき点があるよ、ということかなとも思います。
一、貴薬を重んじて賤味を軽んずべからず、他山の石、玉を攻むと云うこと、苓、時ありて帝と云うを玩味すべし。
この訓は、始めて読んだときにすごく印象に残りました。
薬屋をやっていると、牛黄製剤だとか鹿茸製剤だとか、値のはる「高貴薬」などと呼ばれるものが売れるのがステータスみたいな、いやな風潮があります。
薬業会の勉強会に行くと、高貴薬をバンバン売っている先生のところにみんな話を聞きに行きますもんね。
病院で非常に難しい病名が付けられて来た患者さんでも、漢方のごくごくアタリマエな薬方で症状がとれたりすることがあります。
難しい病名、難病だから高貴薬、安い薬味では治せないなんていうことはないですよね。
逆に、「こんな安い薬で自分の病気が治るはずがない!」という人もいるようで、それに関する逸話も残されていますね。書けませんが。
一、諸病ともに胃気の旺衰を視るべし。故に傷寒論中、往々胃気を論じて諸症の段落とす。
胃気、つまり胃腸の状態、食べられるのか食べられないのか。
深く解釈すると色々考えられますが、ちゃんと薬が飲めてそれを受け入れられるかどうか、見ておかないと無理をかける場合も当然考えられます。
一、病は気血の変なり。脈を診する、尤も気血の盛衰を察すべし。
(夫れ病の虚実、邪の進退及び生死の訣、皆脈に於て之を験するときは、気血の先規と謂はざるを得ず。且つ脈の変を知るとは裏熱外薫の証、邪結上焦の症、血分灼熱の証、虚寒陽越の症、皆脈をして浮ならしむ。
病表に在りて、熱外に盛んにして、浮を為す者と自ずから異なり。是其の一端なり。)
病は気血の変である。健康が常であるのに対して、病は変である。
それがもっとも顕著に現れるのは脈であるから、脈をみるには気血の盛衰をよく観察しなさいと。
カッコ内は訓の後文ですが、ややこしいですね。
脈浮だからと言って、単純に太陽病表証だというわけじゃないよ、色んな条件で脈は浮になるんだぞと。
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