栗園醫訓五十七則 解説(5)
一、諸病、先ず必ず、順、険、逆を定むべき事。
(順証は論なし、険証は周時油断すべからず、逆証は不治なり、速やかに辞しさるべし)
順・順証は、黙っていても治る病気や軽症でこじれていないもの。
険・険証は、薬を用いて慎重に治療しなければならないもの。
逆・逆証は、不治の病であるから、辞して去るべきである。
一、陰陽、表裏、虚実、寒熱は医家の心法なり、萬病に臨んで此の八つを精細に弁ずべし。
陰陽表裏虚実寒熱を「八綱」と呼びます。
漢方の基本を成す部分であるので、ここが決まらないと治療法が決まらない。
これを中途半端にしないで精細に弁別しなさいと。
三陰三陽の判断をするとこの八綱は自ずから定まります。
一、婦人を診する、必ず先ず経期の当否、胎産の有無を詳らかに問ふべし。
ご婦人を診るときは、どんな病気であろうとも、必ず月経の状態や妊娠の有無(可能性を含めて)、出産経験といったことは確認しておかなければならない。
時代は変わってもこれは同じですね。
特に薬を使うときは、慎重にしなければなりません。
一、壮男を診する、黴毒の有無を諦視すべし。
黴毒は梅毒です。
昔は梅毒は珍しいものではなかったですから、よく気をつけてみておきなさいと。
一、薬は偏性の者なり、無毒平淡の品と雖も、攻むべきの病なくば、妄に用ゆべからず。況んや有毒酷烈の品に於てをや。
薬というものは偏った性格があるものだから、いくら無毒で緩慢な作用のものといえども、攻めるべき病気がないときにみだりに使ってはいけない。まして作用が強いものはいうまでもない。
そのままですね。
余談かもしれませんが、彼の有名な吉益東洞先生の「薬徴」の序に、
『書に曰く、若し薬、瞑眩(めんげん)せずんば厥の(その)疾癒えず(やまいいえず)と。・・・薬は毒なり。しかして病も毒なり。薬、毒にして病の毒を攻む(おさむ)。・・・しかして本草を考ふるに、有毒のものあり、無毒のものあり、養をなすもの之れあり、養はざるもの之れあり。・・・則ち薬は皆毒にして、疾医の司るところなり。養精の備えは、則ち毒あると毒なきとを弁じ、しかして食医の職なり。食は常なり。疾は変なり。・・・」
(『薬徴』 吉益東洞著・大塚敬節校注/たにぐち書店 参照)
この文章、私は結構好きです。
冒頭の「薬、瞑眩せずんば・・・」はその意味を知ってかどうか解りませんが、あちこちで引用されているので有名ですけど、その後の方に良いこと言ってます。
特に疾医、食医をズバッと分けておりまして、吉益東洞は生涯一疾医を貫くんです。
吉益東洞って、なんてロックなんだ・・・とは思いました。
現実問題として、食医と疾医を分けていられないので、私たちはどちらも学ばなくてはならないですよね。慢性病を考えていくときは、養生七分です。薬をぴったりあわせても30点。
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解説(6)につづく