栗園醫訓五十七則 解説(14)
一、『周礼』の天官医職、『史記』の扁鵲伝、『本草序列』、『千金方』の大医習業の四部は医家必読の書なり。熟読すべし。
史記の扁鵲伝。千金方は、備急千金要方。
復刻版を手に入れましたが、まだまだ応用できるところまではいきません。
一、本草毒草の部、尤も鴻益あり。熟読すべし。
病気のときだけに用いるものは毒として当時は表現しています。今風に言うと、「薬効のあるもの」です。ここをよく勉強しろと。
浅田宗伯先生は古方薬議という傷寒論・金匱要略に登場する生薬について解説した著書があり、それを木村長久先生が訓読した本はわりと手に入ります。
一、病に標本と云ふことあり。標は現今の急証なり。本は本源の病なり。時に臨んでは、その本源を捨て急を救ふべし、故に急則救其標と云ふなり。
治療の原則、臨機応変について。
以前の解説にも挙げたように、「先急後緩」、つまり標治であれど急なものを先に救って、その後緩慢である病の本態を治療しろということですね。
風邪のときに、本治部はウイルスでしょうが、一般的にはウイルスの治療をしなくても標治である発熱症状を治療すると、あとは自然と治ります。ウイルスという概念は当時無かったからイマドキの解釈ですけどね。今まさに辛い、今まさに大変な症状を、まず救えと。
一、病に主客の別あり。故に一方中にても主客の差別あり。桂枝(湯)は解肌を主とす。桂枝にて解肌すれば、頭痛、身疼、発熱、悪寒等の客証は癒ゆるなり。小柴胡湯は胸脇の邪を清解するを主とす。柴胡にて胸脇苦満、心煩を治すれば、往来寒熱、或は証等、幾多の候は治するなり。また、宿食腹満なれば先ず其の食滞を捨て腹満の薬を用ゆるときは癒ゆることなし。是を主客の別とするなり。又一証の中にも主客の別あり。吐而渇するものは吐を以って主とす。満而吐者は満を以って主とす、此の類尤も多し。
これは医訓のなかでもとても重要な部分と思います。
病に主客の別がある。
桂枝湯証は解肌(げき)が主であって、桂枝湯で解肌すれば、頭痛やらなんやらの症状がとれる。
宿食腹満、つまり平素からの食べすぎによって腹が張っているなら、これを太陰病の腹満(桂枝加芍薬湯証など)と思って治療しても治らない。(平胃散などを用いて)宿食を治療すれば自然と治る。
容易ではないですが、主客を見極められるようになると、治療はシンプルで的を得たものになるのだろうなと思います。
また、漢方の良いところを端的に示しているとも言えますね。
西洋医学で風邪で発熱して咳があってとなれば、解熱剤と咳止めが出ますが、漢方では麻黄湯証となれば麻黄湯で発熱も咳も止まりますね。
漢方の良いところとして、患者さんの訴えに色んな症状があっても、これとこれはこの薬方の証かなと治療して、体質にピッタリ合ったときは、なんだか関係ないような病気まで良くなることがあります。
一、一方中に劇易と云ふことあり。大柴胡湯は心下急、鬱々微煩等を易証とす、心下痞鞭、嘔吐而下利等を劇証とす。小建中湯は悸而煩を易とす、腹中急痛を劇とす。呉茱萸湯は嘔而胸満、或は乾嘔、吐涎沫、頭痛を易とす、吐利、手足厥冷、煩燥欲死を劇とす。此の類尤も多し。
ひとつの薬方を用いるにも、その目標となる症状には激しいもの(劇)と、それほど激しさのないもの(易)がある。
その例として、大柴胡湯、小建中湯、呉茱萸湯の例を挙げられています。
ひとつの薬方が慢性病にも急性病にも行くことを示しています。
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解説(15)につづく