栗園醫訓五十七則 解説(1)
一、常須識之勿令誤と云ふこと、平生油断すべからず心得べし。
常須識之勿令誤とは「常に須らく此れを識り誤らしむる勿れ(つねにすべからくこれをしり、あやまらしむるなかれ)」という漢方の古典である傷寒論にある言葉を引用しているようです。
傷寒論・太陽病上篇の壊病についての条文続く後文にこの記述があります。
「此」が「之」に代わっていますが、意味は同じでしょう。
誤治を繰り返して「壊病」とならないように、日々油断をしないよう心得ろ、と。
傷寒論文中の「桂枝(湯)は、本(もと)解肌(げき)と為す。・・・常に須らく此れを識り誤らしむる勿れ。」
という部分を抜粋しているのですが、浅田先生は「薬方に主客あり」と言われています。
桂枝湯の主は解肌であり、発熱云々は客であると。
この考え方が大事である、それを示唆する意味もここにもしかするとあるのかな・・・とも思います。
一、脈証を審らかに弁じて治法を定むる事、医第一に研究すべし。
つづいての訓。
脈証をつまびらかに弁じて治療方法を決めることを医は第一に研究するべきである。
薬局漢方では脈証が取れません。その代わりに色んなノウハウがあります。一般の病気を三陰三陽で見るというのも浅田流の大事なノウハウであり、これは薬局漢方でも応用できます。
一、病因と病源と病症とを詳らかにすべき事。
(因は外因、内因、不内外因の類、又、水気、瘀血、邪氣の類なり。
源は風、寒、暑、湿、燥、熱、又は、表、裏、内、外、虚、実、寒、熱、陰、陽の類なり。
症は頭痛、発熱、吐利、煩躁の類なり。)と続いています。
内因とは、七情(喜・怒・憂・思・悲・恐・驚)と呼ばれる精神的なものを指します。
外因とは、六淫の外邪(風・寒・暑・湿・燥・火)や癘気と呼ばれる流行性の感染症と思われるものを指します。不内外因とは、飲食の偏り、勞倦と呼ばれる過労、房事過多、創傷・虫獣害、寄生虫、中毒など。
病因の考え方で、もっともシンプルなものが、気血水です。
気はすべての病に関係するので、さらに大まかにみれば、水か血の2つになります。
臨床上は必ず気の異常があって、水か血が病むと思われます。
同業の方とお会いしていると、「これは肝の病、これは腎虚ですよね?」といった臓腑の判断をまず言う方がかなりいらっしゃいますが、その前に気血水や三陰三陽じゃないかな…と思います。
12の臓腑を絞り込む前に、もっと大まかなところから絞り込まないと。
例えば、三陰三陽で少陽の中間から実と選び、気血水で血と選び、上中下の三焦から中焦から下焦と選び…と絞っていくことの方が先です。
その後に臓腑鑑別がきます。
「病源」という言葉は珍しい表現だと思います。
これは、今の我々は西洋医学との整合性を考えれば良いと思います。
例えば、西洋医学的にはこの病気の原因がウイルスと解っている病気であれば、本治はウイルスです。その標治に発熱があったりと、病気の流れを考えていくことだと思います。
坐骨神経痛の原因部分が腰椎であれば、腰椎の修復が本治といったように、病気の原因部分を考えて標治、本治を考えることだと思います。
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解説(2)へ続く